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【ふるさと 十余二(西原)の歩み】


《江戸時代》

江戸時代、下総台地には小金牧と呼ばれる江戸幕府の広大な牧場が広がっていました。時を経て、小金牧は高田台牧・上野牧・中野牧・下野牧・印西牧にわかれ、西原地区周辺は高田台牧の範囲内でした。当時の幕府は野馬奉行や牧士の制度を設けて牧場の管理運営を行っており、花野井村の吉田家・松ヶ崎村の吉野家・名戸ヶ谷村の木村家がその牧士役を務めていました。牧で成長した馬は年に一度捕獲され、駿馬は幕府用とし、駄馬は村々に払い下げられました。

《徳川将軍の鹿狩(ししがり)》

江戸時代の小金牧では将軍家の狩り(鹿狩)が4回行われました。牧内に繁殖している鹿や猪、ウサギなどを駆除する目的もありましたが、大勢の人間を動員する軍事演習としての性格もあり、裏方であった農民の負担は大変だったようです。

《明治維新》

幕府の崩壊による江戸の窮民対策として、小金牧は開墾され十余二地区が誕生します。れを指揮したのが東京府判事の北島秀朝でした。当時の東京の人口は50万人と言われていますが、このうちの10万人が幕府の崩壊により突如、窮民になりました。その窮民の惨状に心を痛めた北島は、牧の開墾によって人々の救済を目指したのです。初富・二和・三咲といった開墾地名も彼が付けたものでした。入植開始が明治4年2月、西原地区は東京からの窮民や十余二村周辺の住民が開拓したので十余二村の一部となり、現在の柏市となった訳です。


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